コミュニケーションを避け続けた結果...

さて、コミュニケーションが上手になる方法を考えて色々と記事にしています。

しかし最近「コミュ障(コミュニケーションが苦手な事)」の根っこは意外と深いのではないかと思い始めました。

 

はちわん88は幼少期、ご近所さんとのコミュニケーションを避けていました。はちわん88を可愛がってくれる人もいたのですが、何かコミュニケーションが上手くいかず、気が付いた頃にはご近所さんを避けるように必死で息を殺して存在が気づかれぬようにしていた記憶があります。

今でも、実家に顔を出す時はご近所さんにバッタリ出くわしたら嫌だなと思ってビクビクしています。

 

また、親戚付き合いというのも苦手でした。

祖父母ははちわん88をとても可愛がってくれたので大好きでしたが、例えば誰かのお葬式の時などに親戚が集まる事がありますがそんな時はなるべく誰とも話さなくて済むように端っこの方にいました。

 

学校は小学校は友達もいて楽しかった記憶があるのですが、中学、高校、大学と人と仲良くなるのが苦手、仲良くなる方法が分からなくて、クラスでぽつんと浮いていました。いじめられたとかいうのはなかったですが、人と仲良くする方法がとにかく分かりませんでした。

 

クラスに馴染めなかったので部活に入りました。部活というのはみんなで一つの目標に向かうという事で仲良くなり易かったです。ただ、寂しい、友達作りが目的だったのでレギュラーになりたい、もっと上手くなりたいという気持ちはなく、当然レギュラーになる事はありませんでした。

はちわん88にとって部活とは放課後みんなで集まってワイワイやる所でした。

そこで、気の合う仲間が見つかって、その仲間とだけ楽しんでいるといった感じです。

 

なんとも寂しい人間関係です。人付き合いが苦手で、避けてきた結果、今でも人が苦手なままです。壁を乗り越えない限りいつまでたっても問題はあり続けるのです。

そして今、はちわん88は人付き合いから逃げてきた結果、自分自身の人付き合いにおける経験値が恐ろしく低いのを感じます。

普通の人がそれなりに人間関係をこなしてきた経験、そういう経験を10年、20年と積み重ねてきた経験がはちわん88にはないのです。

そういう事に気づきました。はちわん88は今、一生懸命コミュニケーションについて考えいますが、果たして、10年20年とコミュニケーションを積み重ねてきた人に追いつけるのだろうか?と考え絶望的な気持ちになります。

 

そもそもどうしてはちわん88は幼少期から人付き合いができなかったの?という事になると思うのですが、恐らく父親との仲が上手くいっていなかったのが問題だと思います。

はちわん88にとって父親とは物心ついた時より苦手な存在でした。自分を否定されたり、気分次第で機嫌が悪かったり良かったりするので顔色を窺っていなければならない存在でした。

だから幼少期からずっと父親とは諍いが絶えなかったように思います。

 

はちわん88にとって家庭とは気分が落ち着く場所安らげる場所ではなくただただ居心地の悪い、争いの場所でした。

 

家庭での成功体験がないのですから、他の人と上手く人間関係を結べないというのはもっともな話だなと、この記事を書いていて思います。

 

ただ、父親との関係が上手く行かなかったから他者とのコミュニケーションが上手くいかなかった、というのはあくまではちわん88の想像でしかないわけで、実際の所はどうか分かりません。

 

そして精神科の主治医に父親とは上手くいかなかったというと、

「子供にとって家庭というのは必ずしも居心地のいい場所ではない。むしろ最近のなんでも子供に迎合する風潮はおかしい。」

と言われてしまいました。

なので実際の所は分かりません。ただ、はちわん88の主観として、父親とは反りが合わなかったと思っています。

 

精神科の診察の場面ではよく「過去の事を言っても仕方がない。問題はこれからどうするかだ。」

と言われますが、はちわん88にしてみればこれからの事を考えるために過去を振り返る事も時には必要だと思います。

 

さて、そうやってひたすら人間関係から逃げてきたはちわん88なので、現在も正常な人間関係を築けていません。

 

ツレを例にあげます。ツレにはお母さんがいて家の近くに住んでおられます。しかし、はちわん88はお母さんから逃げて最近全く顔を合わせていません。ツレのお母さんの友達が近くにすんでおられます。しかしはちわん88は一度挨拶をしに行きましたが、その後は逃げてばかりです。

ツレにはお姉さんがおりますが、やはりはちわん88は積極的に関わっていません。

 

結局今でも、はちわん88は人間関係から逃げているのです。

それに気づいたのは恥ずかしながらごく最近です。

ツレは「はちわん88とツレ」という閉じられた関係の中に存在している訳ではなく、ツレ、ツレのお母さん、お母さんの友達、お姉さん、友達、etcというどこまでも「開かれた関係性」の中に存在していて、はちわん88との関係もその開かれた関係性の中に存在するのです。

 

はちわん88はツレと接していますが、実はツレは沢山の人の輪の中に存在する一人であって、ツレと同棲するという事はツレと関係のある人ともコミュニケーションを取っていかないといけないんだという事に気づきました。

 

人は好きな人とだけコミュニケーションを取っていれば良いのではなく、人の繋がりの中で苦手な人、嫌いな人ともコミュニケーションを取っていかないといけない場合があるのだなと気づきました。

 

今回はかなり自分の中で深く突っ込めた気がします。それも日々コミュニケーションの事を記事として書いてこれたからかなと思います。また、新たな気づきがあればどんどん記事にしていきたいと思います。

どうもありがとうございました。

本日もお付き合いいただきありがとうございました。

 

コミュニケーションの癖に気づく

先日、中学生時代の同級生らとの飲み会に行ってきました。

中学の時から内に籠る暗い性格だったので殆ど友達らしい友達はいないのですが、一人世話好きというのか、良かったら来いよと声をかけてくれる友人がいて、参加しました。

思い返してみれば、その声をかけてくれる友人というのは、大学を卒業して社会人になってからも何かと、事あるごとに、声をかけてくれていたように思います。

人と人とを結びつけるのが上手い性格なのだと思います。

 

ただ、はちわん88が忙しかったり、人見知りで、知らない奴がいる所に行くのは嫌だなーと思ったりして、正直その声をかけてくれる友人の事をあまり有難く思っていませんでした。

 

時々声をかけてくる変わった奴だな~位にしか思っていませんでした。

 

はちわん88の中で何かが変わったのだと思いますが、最近その声をかけてくれる友人の存在がとても有難く感じるようになりました。

 

それで先日飲み会に行ってきたのですが、はちわん88以外のメンバーは全員仲の良いメンバーです。

はちわん88は中学生の頃からずっと内に籠る性格で友達らしい友達が出来なかったので、そのメンバー達も顔は知っているけどあまり交流をしていなかったメンツです。

そういう訳で一人だけちょっと浮いた感じの中での飲み会でした。

でもそういうメンバーに交じって酒をのんでいると、とても居心地がよいのです。

はちわん88は今でも無口なのであまり喋りませんが、他の奴らが喋っているのをほろ酔いで聞いていると、なにかすごく気持ちが良いのです。

 

このメンバーほんとに仲が良いなぁとかこのメンバーでもう一回中学時代に戻ったら今度は絶対仲良くするだろうなと思いました。

ただ、はちわん88らが中学生に戻ることはあり得ないわけで、これから彼等と仲良くしていけたらいいなと思いました。

 

そういう楽しかった飲み会なのですが、自身のコミュニケーションのやり方、癖のようなものに気づき、こうすればよいのではないか?という一つの答えのようなものが見つかったので書いておこうと思います。

 

はちわん88に声かけをしてくれる友人をAとします。

もう一人、はちわん88が比較的よく知っている友人Bがいます。

友人Bとの関係を思い起こすと、何かと衝突して口論になるというのがはちわん88の感想です。

 

そんな訳ではちわん88は今回も飲み会にはBがいるな、また口論になったら嫌だなあという思いを持ちつつ飲み会に行きました。

 

はちわん88は飲み会に行くにあたって友人Bと上手くいく方法を考えました。

いつものパターンだと友人Bの意見にはちわん88がそういう意見もあるけどこういう考えもあるんじゃないか?と建設的な意見を出しているつもりが、実はただ、友人Bの意見を否定していただけなのでは?と思いました。

なので友人Bと意見がぶつかったら素直に相手の意見を認めようと思いました。

 

果たして、飲み会で友人Bと衝突しそうな場面がやってきました。

そこではちわん88は変に相手を刺激しないよう、「そうそう、Bの言う通り。」と言った所、友人Bは満足気な笑みを浮かべはちわん88と衝突することはありませんでした。

衝突の危機はもう一度ありましたが、はちわん88が折れる事で回避する事ができました。

 

家に帰ってから友人Bってどんな性格だったかなと思い返してみると、「負けず嫌い、真面目、ストレートなコミュニケーションの仕方」とはちわん88とよく似た性格だと思いました。

やはり似た者同士というのは衝突しやすいのかなと思いつつ、これからもはちわん88が折れるようにしていこうと思いました。

 

今回の飲み会ははちわん88にとって実りの多いものでしたが人と人が仲良くするというのは、結局のところ相手の幸せを願っているという考えが根底にあるからこそ成立するものだと思いました。

 

表面上は仲良くしていて実は相手の失敗を望んでいるなどというのは、まさに「上辺だけの関係」だと言えるでしょう。

 

自己否定の傾向のあるはちわん88は友人と仲良くするために自分の事を好きにならなければならないよなと思います。

 

今日はちょっと冗長な文章になってしまった気がしますが以上です。

本日もお付き合いいただきありがとうございました。

 

 みえんからおらんというのがまちがいのもとじゃがナby『のんのんばあとオレ』 

水木しげるシリーズ第2弾です。

前回の『総員玉砕せよ!』が予想以上に素晴らしかった(失礼)のですぐに読んでしまいました。

今回はその勢いのまま『のんのんばあとオレ』ですが、読み始めてちょっとズッコケてしまいそうになりました。

物語が紙芝居みたいで展開がとてもゆっくりなのです。

最後まで読めるか自信がないなあと思いながら読みはじめたのですが、その心配は杞憂に終わりました。

ちょっと読むとその面白さに夢中になってしまいました。

登場人物がみんなとても優しいのです。愛情に溢れているのです。

 

そして漫画の中に出てくる人達は総じて貧乏です。しかし貧乏だという事についてなんとも思っていません。

例えば今だったら、貯金がないと心配だ、とか家が貧乏だから格好悪いとか思うような気がするのですが、『のんのんばあとオレ』の世界では貧乏という事に対して劣等感のようなものがありません。

貧乏なのが当たり前、それをことさらどうこう言う方がおかしいという感じです。

昭和6年頃が舞台なのですが、当時の常識はそんな感じだったのかもしれません。

 

のんのんばあは連れ合いのおじいさんが無くなったことで、しげーさんの家で住み込みの家政婦さんとして働く事になります。

こののんのんばあが誰に対しても底抜けに優しく愛情あふれるおばあさんなのですが、霊的な事についても知識の豊富な人です。

幼いしげーさんの面倒をみながら同時に霊的な事も教えるといった感じです。

 

しげーさんのお母さんですが何かというと「生家は苗字帯刀御免の家計で、家紋だってお殿様の裏門をいただき倉が三つもあった旧家だったんだけんね」

という人なのですが、とても優しい人です。

しげーさんのお父さんですが銀行勤めで一見まじめな人かと思いますが全然まじめではありません。

趣味が高じて地元に映画館を作りたいと言い出し、奥さんの大反対にあうのですが、結局作ってしまいます。

 

物語はしげーさんを中心にのんのんばあ、しげーさんのご両親、兄弟、友達たちとの日常が微笑ましく描かれています。

そんな中でちょっとしたラブストーリーがあります。

のんのんばあとオレ』という漫画の中でしげーさんは3人の女の子に恋をしますがいずれも成就しません。

一人目の女の子、松ちゃんですが、ハシカであっけなく亡くなります。

 

二人目の女の子、千草、病気で東京から転地療養に来ています。しげーさんと心を通わせるのですが亡くなってしまいます。

 

三人目の女の子、吉川美和、神戸から引っ越してきました。しげーさんと同じように「目に見えないもの」が見えます。なのでしげーさんとは仲良しになります。

しかし結局、芸者の置屋に売られていきます。

しげーさんの恋は結局実ることはありません。

そういう時代だったんだな、と思うしかありません。

のんのんばあとオレ』ですがとても考えさせられる文章が沢山出てきて、豊かな気持ちになります。

何度も手に取りたくなる一冊でした。

 

本日もお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

のんのんばあとオレ (講談社漫画文庫)

のんのんばあとオレ (講談社漫画文庫)

 

 

漫画 『総員玉砕せよ!』 水木しげる著を読んで。

さて、米長邦雄氏の運に関する考察についてあれこれ考えていましたが、はちわん88はもうちょっと緩さが必要なのではないかと考えました。

緩い人、と言ってすぐに出てきたのが、水木しげるであり、氏の漫画を読んで緩い人になろうと思い買った漫画が『総員玉砕せよ!』と『のんのんばあとオレ』の2冊です。

 

 

今回は『総員玉砕せよ!』の感想なのですが、水木しげるの漫画は大人向けだよなというのが第一印象です。

 

水木しげる世代の漫画家といえばまず頭に浮かぶのが巨匠手塚治虫でありますが、手塚治虫の漫画は老若男女あらゆる世代が読んで、面白いと感じるものでした。

水木しげると言えば、テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』はよく見ていましたが、漫画を読んでもイマイチな感想だった記憶があります。

 

はちわん88が思う水木しげるの漫画とは、酸いも甘いも嚙み分けた大人が読んで、胸にジーンとくる極上のエンターテインメントなのではないかということです。

 

前置きが長くなってしまいましたが、

『総員玉砕せよ!』の感想です。

舞台は昭和18年末ニューブリテン島です。

日本兵の置かれている状況は過酷です。

ジャングルの中で、風呂もまともにはいれない、食べるものもろくになく、重労働が課され、事故で日常的に人が死んでいきます。

上官はこれといった理由もなく部下を殴ります。ただただ、自分が上官だという理由だけで部下を殴ります。

将校、下士官、馬、兵隊と言われる順位で兵隊というのは人間ではなく馬以下の生物と思われていたのでとにかく扱いがひどいです。

本来一番大切にしなければいけないはずの人の命を一番粗末に扱っている時点で日本軍が勝つはずはないよなと、暗澹たる気持ちになりました。

 

そうは言っても敵がいない状態というのはまだましです。

ある日、敵が上陸してきて一番大事な水源地が奪われしまします。

部下の反対を押し切って大隊長は玉砕することを決めてしまいます。

そして、玉砕は敢行されたのですが、生き残りが出てしまいます。

 

普通の感覚であれば玉砕をして生き残った人間に対して「よく生き残った。よく頑張った。」と言ってやるのが人としての在り方だと思うのですが、軍の決定は再度玉砕せよ、です。

 

日本軍のいかれたルールには呆れるしかないのですが、当時は本当にそんな事がまかり通っていたようです。

 

そして、再び、兵隊の気持ちを玉砕に向けさせ、玉砕が行われます。

 

最初の玉砕も二度目の玉砕も行う必要のないものでした。

大隊長の先走りであったり、玉砕の生き残りは敵前逃亡だから死刑と言われたり、とにかく理不尽な事だらけです。

 

この漫画のような実際の軍隊の様子が詳しく描かれているのは水木しげるさんだからこそなしえた事だと思います。

 

水木さん漫画を描いてくださってありがとうございます、と心から思いました。

以上です。

本日もお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

 

 

本当に優秀な人は大学には行かない!

今回は『哲学』島田紳助 松本人志

を読んだ感想などを書きたいと思います。

この本はそもそもツレが読んでいた本で、はちわん88に面白いから読んでみれば?と勧められていた本です。

 

で、この本なのですが凄く面白いです。

島田紳助松本人志という人物がいかに優れた人物であるかが伝わってきます。

 

島田紳助松本人志というとお笑いの世界の人です。

はちわん88は彼らをテレビの中の人と認識し、紳助は頭いいなぁとか松本は面白いなぁと一方的に評価をしていました。

ところが島田紳助松本人志を一人の人間として評価する時、どうしてもはちわん88との比較になってしまいます。

 

はちわん88の最終学歴は大学卒であります。それは別に大学で何かを勉強したかったとかそういう前向きな理由ではなく、ただ単に高校を卒業してやりたい事がなかった。だから何となく進路を決めるのを引き延ばすために大学に行ったというところが本音としてあります。

 

ところが、いざ自分が大学卒として社会に出てみると、やっぱり大学くらいは卒業しておかないとダメだよねという考えになります。

 

それはいわゆる企業に就職する時、大卒というのは必須の学歴だったりするからです。

そして、大学に入学するための高校生の時点の学力は人より少しは優れていたのだろうと勝手に自惚れたりしていました。

正直な所、学力なんていうものは人間の能力を計るうえでの一つの指標に過ぎないのですが。

 

しかしです、いわゆる大学を卒業して一般企業に就職するというルートに乗らない場合、大卒という肩書は殆ど意味がないものだと気づかされました。

 

それが島田紳助であり松本人志です。

彼等はバカだからお笑いの道に進んだわけではありません。

お笑いに興味があって、そして無茶苦茶優秀だったからお笑いの道に進んだのです。

18歳の時にすでに「お笑いの世界でてっぺんを取ってやろう。」という気概を持ってお笑いの世界に入ります。そして有言実行、実際にお笑いの世界で一番になるのです。

島田紳助松本人志もであります。

お笑いの世界で一番になるという事は、企業に入社して社長になるよりはるかに難しい事だと思います。

若くしてお笑いの世界で一番になった二人がいかにすごいかと思います。

 

この二人を見た時、はちわん88は「ああ、大卒などという肩書に大した意味はない、本当に優秀な人間は大学などには行かないのだなあ。」と思いました。

 

まあ、大卒で優秀な人もいる訳ですから、学歴で人を判断するのは意味のない事だと言った方がよいでしょうか。

 

この記事では『哲学』島田紳助 松本人志著を読んで、主に学歴についてはちわん88が感じた事を書きましたが、その他にも面白かった点は沢山あります。

例えば、後半、島田紳助が奥さん、子供との事を書いている部分は紳助の優しさ、器の大きさを感じる事ができました。

 

また、紳助、松本が「お金」について語っている部分は凄く勉強になりました。

 

この本は間違いなく何回も読み返したくなる本です。

とても素晴らしい本に出会いました。

紹介してくれたツレに感謝です。

 

おしまいです。

本日もお付き合いいただきありがとうございました。

 

 

哲学 (幻冬舎よしもと文庫)

哲学 (幻冬舎よしもと文庫)

 

 

 

自己犠牲のコミュニケーション、これが欲しい!と言える人に。

 はちわん88がコミュニケーションのレッスンに通いだした頃、先生に言われた事が

「はちわん88さんのコミュニケーションは自己犠牲のコミュニケーションですよ。そういうコミュニケーションをしていてはダメですよ。」

と言われました。

はちわん88は「自己犠牲のコミュニケーション」の意味が分かりませんでした。

それから1年以上レッスンに通っていますが「自己犠牲のコミュニケーション」というものがどういうものかいまいちピンと来ない状態が続いていました。

前回のレッスンでも先生に念押しをされるように、

「はちわん88さんは自己犠牲のコミュニケーションですからね。」

と言われたのですが、いまいちピンときません。

 

この1か月ではちわん88は様々な気づきを得られたような気がしますが、

「自己犠牲のコミュニケーション」についても何となく分かったような気がします。

自己犠牲のコミュニケーションとはそのままの意味で、自分が我慢しておけば丸く収まる、本当は○○して貰いたいけど拒否されたら嫌だ、傷つく、傷付くくらいなら最初から我慢しておいた方がよい、という考え方です。

例えばツレ(彼女)に「ごめん、お茶とってくれ。」と言わずに自分で立ってお茶を取りに行ったりします。

ツレ(彼女)からしてみれば、お茶取ってって言ってくれれば取るのになというモヤモヤが残るのではないかと思います。

 

人との付き合いの中で、自分だけが我慢して、人の言い分を聞いていると、

「なぜ俺だけが我慢して、相手の言う事を聞いているのか?」という考えになり、対人関係にイライラが起こります。

常に「我慢、我慢」ですから、常にイライライライラです。

 

最近そういう仕組みに気づいたはちわん88は、少しずつ自分の気持ちに正直に「あれが欲しい、こうしたい。」

と言うようになってきました。

すると不思議な事が起こりました。

自分の主張が通ったら素直に「ありがたい」という感情が湧き出てくるのを感じました。

そして、人の主張もイライラすることなく、素直に聞くことが出来る自分になっているのに気づきました。

 

ありがとうという気持ちはするべきもの、ねばならないものではなく自然と心から湧いてくる感情なのだと気づきました。

少し話がずれますが、感情というものに蓋をする事はできますが、湧き上がってくる感情そのものは消すことが出来ないと感じています。

湧き上がってくる感情を消すことが出来ないのなら、なるべくプラスの感情が湧いてくるような行動をとった方がよい。

具体的には「自己犠牲のコミュニケーションを止める。」「欲しいものを欲しいと言える人である。」という事です。

 

「自己犠牲のコミュニケーション」にこんなに深い意味が込められているとははちわん88も全く知りませんでした。

もし「自己犠牲のコミュニケーション」をしている人がいるなら一刻も早く止めることを強くお勧めします。

 

そして、はちわん88に会って、すぐに「あ、この人は自己犠牲のコミュニケーションだ。」

と気づき、そういうコミュニケーションではダメですよ、と指摘してくれたコミュニケーションの先生はすごい人だなと改めて思っています。

感謝感謝です。

 

本日もお付き合いいただきありがとうございました。

 

飲食店などの店員さんと上手く付き合えるようになりました。

はちわん88はこれまでブログでも何度か書いていますが、飲食店などの店員さんとの付き合いかたで悩んでいました。

 

例えば、はちわん88はツレ(彼女)とよく行く飲食店があるのですが、そこの店主とツレ(彼女)はよく喋ります。

はちわん88は蚊帳の外でひどく疎外感を感じていました。

そこの飲食店が特別という事はなく、はちわん88は飲食店や病院、本屋の店員さん等、とにかくそういう「場所、場面」が苦手でした。

 

買い物に行っているのに何故か店員さんにははちわん88が見えていないような、無視されているわけでもないのですが、本当に自分が透明人間になったような感覚に陥ります。

 

そして、はちわん88がオーダーしたモノはかなりの確率で忘れられます笑

 

例えば喫茶店で、コーヒーを注文したのにやってこず、後から来た人のドリンクが先に来るという事はざらにあります。

そして、はちわん88は

「俺のコーヒー遅いな。。。」

と思うものの黙って、じーっと待っているだけです。

やはりはちわん88は店員さんからは見えていないのでしょうか?

 

こういう小さな失敗体験は重なると意外にダメージが大きく、はちわん88は人と接する場所が苦手でした。

 

飲食店のみならず、人が集まる所、もっというと人付き合いそのものが億劫で苦手でした。今でもあまり得意とは言えませんが。

 

そんなはちわん88ですが、最近ちょっとしたコツをつかんだような気がします。

飲食店の店員さん等との付き合いが楽になりました。

 

はちわん88が何をしたかというと、お会計から逃げないという事です。

例えばはちわん88がツレ(彼女)と飲食店に行った時は必ずツレ(彼女)にお会計をしてもらっていました。

はちわん88はとにかく人と接したくないのでお会計から逃げていたのです。

結果、お店での存在感が無くなるの悪循環です。

勇気を出して、お会計をする、別に気の利いた事を言う必要はないのです。お金を払うのははちわん88だ!と主張する事、たったこれだけの事で、はちわん88の存在感が出てきたように思います。

 

こういう小さな成功体験をすると面白いもので、お店に行くのが楽しくなります。いつもよりちょっと大きな声で

「コーヒー下さい!」と頼めたりします。

そしてオーダーを忘れられたりしたら、今度はチャンスだと思えたりします。笑

そして、

「すみません!コーヒー来てないんですけど。」

と言う事を楽しんでいたりします。

 

私は客だ、お金を払うのは私だ、だからきちんとサービスをして下さいね、といった気持ちになることが出来ました。

 

40代になるまで、そういう事に気づかず、お店が苦手だ苦手だと言っていたはちわん88はなんと勿体ない事をしてきたのだろうと思います。

 

これからも必ず会計は自分でするという事をやっていきたいと思います。

そして自分のコーヒーが来るのが遅かった場合、

「コーヒーが来てませんよ!」

と主張していこうと思います。

たったそれだけの事で確実に人付き合いは楽になることを知ってしまったのですから。笑

 

以上です。

本日もお付き合いいただきありがとうございました。