横山光輝さんのマンガ『三国志』を読んでいます。二

三国志の時代は、今の世の中と違って非常にシビアな時代で、
一言で表すと「やるかやられるか。」です。
なにをしようとしても命がけです。

武将たちは、主君のためには命を惜しみません。

35巻「成都攻略戦」で、劉備軍は蜀に進行するのですが、蜀の武将厳顔は、張飛に敗れ、囚われの身になってしまいます。しかし劉備の漢朝のために、天下万民のためにという思想に共感し、劉備の軍門に下ります。
また、同じように囚われの身になった、呉蘭、雷同、呉懿も厳顔と同じように劉備の軍門に下ります。
さて、いよいよ張任が捕まります。

彼は「忠義の臣は二人の主人に仕えることはせぬものよ」
「なんと説得されようとも二君につかえぬ さあ首を打たれい」
と言って頑として劉備の説得を聞き入れません。

見かねた孔明
「わが君 余りくどく強いるのは 真の忠臣を遇する礼ではありませぬ」
「その忠節をまっとうさせてやるのも 慈悲と思います。」と助言をし、
結果張任は首をはねられてしまいます。

張任はあくまでも例ですが、三国志の中では、多くの武将が主君のために、国のために生きることよりも死ぬことを選びます。

時代によって常識が異なるという事でしょうが、今の我々が生きている時代の常識「健康で長生き」というものに比べ、三国志の時代の常識「主君のためであれば喜んで命を捧げる」といった常識に少し、感銘を受けたはちわん88でした。
現代風に言えば、「太く短く」か「細く長く」といった感じでしょうか?