自己犠牲のコミュニケーション、これが欲しい!と言える人に。

 はちわん88がコミュニケーションのレッスンに通いだした頃、先生に言われた事が

「はちわん88さんのコミュニケーションは自己犠牲のコミュニケーションですよ。そういうコミュニケーションをしていてはダメですよ。」

と言われました。

はちわん88は「自己犠牲のコミュニケーション」の意味が分かりませんでした。

それから1年以上レッスンに通っていますが「自己犠牲のコミュニケーション」というものがどういうものかいまいちピンと来ない状態が続いていました。

前回のレッスンでも先生に念押しをされるように、

「はちわん88さんは自己犠牲のコミュニケーションですからね。」

と言われたのですが、いまいちピンときません。

 

この1か月ではちわん88は様々な気づきを得られたような気がしますが、

「自己犠牲のコミュニケーション」についても何となく分かったような気がします。

自己犠牲のコミュニケーションとはそのままの意味で、自分が我慢しておけば丸く収まる、本当は○○して貰いたいけど拒否されたら嫌だ、傷つく、傷付くくらいなら最初から我慢しておいた方がよい、という考え方です。

例えばツレ(彼女)に「ごめん、お茶とってくれ。」と言わずに自分で立ってお茶を取りに行ったりします。

ツレ(彼女)からしてみれば、お茶取ってって言ってくれれば取るのになというモヤモヤが残るのではないかと思います。

 

人との付き合いの中で、自分だけが我慢して、人の言い分を聞いていると、

「なぜ俺だけが我慢して、相手の言う事を聞いているのか?」という考えになり、対人関係にイライラが起こります。

常に「我慢、我慢」ですから、常にイライライライラです。

 

最近そういう仕組みに気づいたはちわん88は、少しずつ自分の気持ちに正直に「あれが欲しい、こうしたい。」

と言うようになってきました。

すると不思議な事が起こりました。

自分の主張が通ったら素直に「ありがたい」という感情が湧き出てくるのを感じました。

そして、人の主張もイライラすることなく、素直に聞くことが出来る自分になっているのに気づきました。

 

ありがとうという気持ちはするべきもの、ねばならないものではなく自然と心から湧いてくる感情なのだと気づきました。

少し話がずれますが、感情というものに蓋をする事はできますが、湧き上がってくる感情そのものは消すことが出来ないと感じています。

湧き上がってくる感情を消すことが出来ないのなら、なるべくプラスの感情が湧いてくるような行動をとった方がよい。

具体的には「自己犠牲のコミュニケーションを止める。」「欲しいものを欲しいと言える人である。」という事です。

 

「自己犠牲のコミュニケーション」にこんなに深い意味が込められているとははちわん88も全く知りませんでした。

もし「自己犠牲のコミュニケーション」をしている人がいるなら一刻も早く止めることを強くお勧めします。

 

そして、はちわん88に会って、すぐに「あ、この人は自己犠牲のコミュニケーションだ。」

と気づき、そういうコミュニケーションではダメですよ、と指摘してくれたコミュニケーションの先生はすごい人だなと改めて思っています。

感謝感謝です。

 

本日もお付き合いいただきありがとうございました。