コミュ障を克服する覚悟はあるか?

あえて煽り気味のタイトルにしてみました。笑

コミュ障を克服する覚悟はあるか?です。

はちわん88はコミュ障を克服するためにコミュニケーションのレッスンに通ったり、自分で考えたり、ブログを書いたりしています。

日々、目先の苦しい事、しんどい事を克服するための方法を模索しているわけですが、ふとコミュ障を克服するという事はどういう事なんだろう?という事を考えました。

 

はちわん88の考えるコミュ障を克服するということは、「人前で堂々と明るく大きな声で振る舞っている、自分の意見を言える人」というイメージです。

 

という事はつまり人の集まりが苦手ではないという事です。

 

翻ってはちわん88はどうでしょうか?

背中が丸まっています。声は小さく、ぼそぼそ喋ります。なるべく人の目を見ないようにしています。笑顔がなく無表情に近いです。

コミュ障を克服した時のイメージとは程遠い自分でいる事に気づきます。

 

目の前の苦痛を避けるためにあれこれと策を考え、対処していくというのはもちろん良い事です。

しかし一方でコミュ障を克服するという事は結局どういう事なのか、という事を考えていないと、日々努力していることが間違った方向の努力かもしれないという事です。

 

コミュ障を克服する=社交性を身につけるとざっくり定義した場合、現状のはちわん88は社交性がありません。

そして社交性を身に付ける努力はしているつもりです。

しかし、果たして、はちわん88は社交性を身に付ける覚悟は出来ているか?という話です。

社交性を身に付けるという事は、人前に出て話すという事です。堂々と振る舞うという事です。人の目を見て話すという事です。

想像しただけで胸が締め付けられる感じで無理!と思ってしまいます。

無理だから、背中を丸めて、声は小さく、ぼそぼそ喋って、なるべく目立たないように、振る舞うはちわん88がいます。

今はそれで良い、でもコミュ障を克服するという事は社交的になるという事、背筋を伸ばして、大きな声で喋り、相手の目を見て、表情豊かに話すという事です。

理想と現実のギャップ、距離を分かっておく事が大事だと思うのです。

そして、はちわん88は果たして本当にコミュ障を克服したいのかどうかという事を改めて考えてみる必要があるのだと思います。

だってコミュ障を克服した自分というのは、今の自分ではない新しい自分なのですから。

少し観念的な事を書いてしまいました。

はちわん88はコミュ障で苦しんでいます。この苦痛から逃れたいです。だから少しずつ人と仲良くなっていきたいと思っています。

コミュ障を克服する=社交性を身に付けるというのは大きな目標ですがいずれは達成したいと思います。

まずは、ちいさな出来る事を積み重ねていきたいと思います。

 

今回の記事は結果的に石井裕之さんの『ダメな自分を救う本』という本に影響された内容になってしまいました。もし興味のある方は本を読まれる事をお勧めします。とても良い本だと思います。

 

ダメな自分を救う本 人生を劇的に変えるアファメーション・テクニック (祥伝社黄金文庫)
 

 

本日もお付き合いいただきありがとうございました。